Layer… 方針の転換

私は当初このブログでは『lain』各話の所見を述べるということを考えていたが、どうやらその目論見は空疎で意味のないものであったようだ。というのも、『lain』の思想は全て「存在は認識=意識の接続によって定義される」というあのテーゼに下支えされたものであり、私が何を言ったところでその中心命題につまらない注釈がつけられるに過ぎないということがわかってしまったからだ。何を語っても結局同じ結論に行き着いてしまうことに気づいてしまったからだ。

そういった理論的構造の明確さ(1つの命題から全ての事象が演繹的に説明できるという点で)は非常に好ましいが、この点から見ると最早『lain』に批評など必要ないようにさえ感じられる。あの中心命題を自明で既知なものとして『lain』の作品世界を俯瞰すると、一見混沌として見えるそれは、議論の余地のない完璧な構築物のように思えてしまうからだ。

従って『lain』について何らかの批評を行うためには、このメインテーゼが抱える問題点について考えることが求められる。それは何か。そのことについて考えるための鍵となるのが、アニメ版、およびゲーム版『lain』のラストシーンであると私は思っているが、それについては次の記事で触れる。