Layer… 『lain』と時制の混乱、時間の非実在性

lain』作中においては、時制を意図的に混乱させた演出が散見される。5話での美香の精神錯乱のシーン、12話の玲音のセリフ「あったことも、なかったことにできるんだよ」、そしてアニメのオープニングのこのシーン。

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(出典:リンク先

https://yamaki-nyx.hatenablog.com/entry/2018/07/14/015812

風で飛ばされた玲音のキャップが空中に静止し、玲音は止まった世界を飛んでいく鴉に目をやって、独り立ち去っていく。

これらの例からわかるように、『lain』では時間は非線形なものとして扱われている。否、それはもはや時間とすら呼べない。時間という概念は自ずから過去ー現在ー未来という図式を規定する。つまり時間は、線形でなくてはならないのだ。従って、時間の非線形性という問題は、時間の非実在性の問題と換言できる。これについては、イギリスの哲学者マクタガートが1世紀以上前にその正しさを証明している。そして彼のその時間に関する言説は、現在においてもなお一定の説得力を保持し続けている。このことを深く考えたい方は、『時間の非実在性』(講談社学術文庫、2017、ジョン=エリス=マクタガート著、永井均 訳)を読むといいと思う。

 

Layer… 『lain』のメインテーゼ

私は、『lain』はゲーム版、アニメ版ともにそのラストシーンで、今まで自明にしてきた存在の定義「存在は認識=意識の接続によって定義される」を完全に否定していると考えている。

ゲーム版のラストで玲音は自殺する。有限な肉体から解放されて本当の意味でこの世界に遍在する(=「つながる」)ために。

しかしこの話には無理がある。玲音が死んだところで、玲音の存在領域は玲音を知る人の範囲に限定されている。ネットワークに玲音の情報が拡散していくとしても、ワイヤード世界が日々拡大していく以上必ず玲音が存在し得ない領域が出てきてしまう。仮に玲音がネットワーク全てに存在するようになったとしても、それは一時的なものに過ぎない。果たしてそれは本当に遍在と呼べるだろうか?

 

アニメ版のラストでは、玲音は自身の肉体の消去した上で、自身に関する記憶(記録)を全て抹消し、実体のない集合的無意識となる。(これが玲音の元々の姿だとする考えもある)認識による「つながり」を極限まで求めた玲音が行き着いた先は、誰にも認識されない領域だった。つまり、「遍在は不在と同じである」という逆説に至ってしまったのである。

 

このように、かの存在に関するテーゼを極限まで演繹した結果、それは理論的に破綻した。これが意図的なものであるとすれば、このラストに至るまでの過程こそが、「serial experiments lain(=玲音に関する一連の実験)」なのではないか。もっと言えば、その「実験」からわかることは、「存在の意味や価値はそれに接続される対象の質や量に依存するものではない」ということなのではないか。私はそのように考えている。

では存在を定義づけるものは何なのか。私たち一人一人が考えるべきことはこのことに帰着するのではなかろうか。次の記事ではそれについて触れることにする。

Layer… 方針の転換

私は当初このブログでは『lain』各話の所見を述べるということを考えていたが、どうやらその目論見は空疎で意味のないものであったようだ。というのも、『lain』の思想は全て「存在は認識=意識の接続によって定義される」というあのテーゼに下支えされたものであり、私が何を言ったところでその中心命題につまらない注釈がつけられるに過ぎないということがわかってしまったからだ。何を語っても結局同じ結論に行き着いてしまうことに気づいてしまったからだ。

そういった理論的構造の明確さ(1つの命題から全ての事象が演繹的に説明できるという点で)は非常に好ましいが、この点から見ると最早『lain』に批評など必要ないようにさえ感じられる。あの中心命題を自明で既知なものとして『lain』の作品世界を俯瞰すると、一見混沌として見えるそれは、議論の余地のない完璧な構築物のように思えてしまうからだ。

従って『lain』について何らかの批評を行うためには、このメインテーゼが抱える問題点について考えることが求められる。それは何か。そのことについて考えるための鍵となるのが、アニメ版、およびゲーム版『lain』のラストシーンであると私は思っているが、それについては次の記事で触れる。

Layer:04 RELIGION ① 「ファントマ」から見える現代社会での監視のあり方その2

前の記事で、劇中の架空のゲーム「ファントマ」が象徴する現代の監視社会について少し触れたが、今回はその構図を近代のそれと対比させて少し考えてみる。

近代におけるパノプティコンは、規律・訓練された主体の形成を目的としていた。
これに対して現代の監視は、個人のデータの記録・管理を目的としている。(見えない監視)
人々は自らの生活の利便性のために自発的に監視されにいく。無意識下で、私たちはそうした権力の統制下におかれている。
lain」第4話での事例は、そのような潜在的な監視の構造を目に見える形にしたものと考えることもできるのではなかろうか。
 
最後に読書案内をしておく。このような現代における監視の構造は、鈴木謙介の『カーニヴァル化する社会』(2005、講談社講談社現代新書)に詳しい。またこれと併せて、フーコーの『監獄の誕生』を読んでみてもいいかもしれない。

Layer:04 RELIGION ① 「ファントマ」から見える現代社会での監視のあり方その1

4話では、若者の間で流行しているとされるゲーム「ファントマ」のプレイヤーである名も無い少年が登場する。

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(出典:リンク先

https://yamaki-nyx.hatenablog.com/entry/2018/06/04/151039

この人。

明らかに様子がおかしいが、これは本来ワイヤード中のダンジョンに出てくる亡霊を倒すというゲームをプレイしていたはずなのに、なぜかログアウトしてもその亡霊(ここでは小さい女の子)が自分の後を追ってきていたからである。

そして正気を失った少年は、闇雲にゲームで用いていたモデルガン(なぜかリアルワールドでも使えるようになっている)でその亡霊に攻撃を加える。彼女が倒れて、動かなくなるまで。

 

現代(2018年)における情報社会の状況を考えてみると、私は、この少年はSNSでトラブルに陥る人たちを象徴しているのではないかと感じる。実社会=リアルワールドとは異なるレイヤーとしてのネット空間=ワイヤードを生きていたはずなのに、結局そこでもリアルの監視を受け続けている。

そして「ファントマ」での「亡霊」とは、すなわちこの「監視者」なのではないかと思う。実際にパノプティコンのようなものがあるわけではないのに、なぜか周囲から見張られているような気がする。かの少年の恐怖は、そんな強迫観念に由来するものなのではないだろうか。

Layer:03 PSYCHE

ある日、玲音が下校しようとすると、

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自分の下駄箱の中に不審な封筒が一通。

中を開けてみると

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なにやら怪しげな部品。

(上の2枚の画像の出典:小中千昭氏のブログ「welcome back to wired」リンク先→

https://yamaki-nyx.hatenablog.com/entry/2018/05/29/014143

その後玲音が知り合いの子に聞いてみると、どうやらそれはプシュケーというNAVIの性能を飛躍的に上げるためのデバイスであるらしいということが分かる。

今回このことを取り上げたのは、これが玲音(レイン)のワイヤードにおける影響力の驚異的な拡大の契機となったからである。

もちろんこの封筒の送り主は、玲音がプシュケーを使いこなしてくれると考えてそれを彼女に託したはずである。では誰が、何のためにそんなことをしたのか。この時点で言えることは特に無いので、これについては後々の記事で言及することにしたい。

 

 

Layer:02 GIRLS ③玲音とレインの乖離と邂逅

(注)今回の記事も一部ネタバレを含むので、あらかじめご了承ください。

 

2話の途中、学校で(玲音は14歳の中学2年生という設定になっている)友人たちが玲音に話しかける。昨日サイベリアで玲音そっくりの子がいた、と。

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(出典:小中千昭氏のブログ「welcome back to wired」リンク

https://yamaki-nyx.hatenablog.com/entry/2018/05/27/143919

しかし玲音にはそんな記憶は無い。当然そのことを否定する。すると彼らは納得する。その玲音に似た少女は、性格や雰囲気が玲音とは正反対だったから。他人の空似なのだろう。玲音も友人たちもそう考えた。

しかしこれこそが、玲音の分裂のはじまりであり、同時にリアルワールドとワイヤードとの境界の融解のはじまりだったのである。

玲音の友人たちが見た玲音は、玲音のワイヤード上の人格「レイン」だった。しかしなぜか、その姿はワイヤードの外で目撃される。それはワイヤードがリアルワールドに与える影響が大きくなっているからに他ならない。

玲音の実存への強い不安は、こうした自己の分裂に端を発している。実は「玲音の姿をした『玲音』以外の存在」は他にもあるので、この問題について掘り下げるのは全てが出揃ってからにさせていただきたい。